2013年3月7日木曜日

菅野沖彦 趣味のオーディオは音楽芸術への敬意から始まる


菅野沖彦 ピュアオーディオへの誘い 第53回:趣味のオーディオは音楽芸術への敬意から始まる
http://www.phileweb.com/magazine/sugano/archives/2010/08/31.html

PCを使ったオーディオや、携帯電話を使ってダウンロードして楽しむ音楽が世の中で大変な普及を見ているのは知っています。これはとても便利な実用品だと思いますが、この連載で語っている「趣味のオーディオ」という視点で見たらどうでしょうか。PCや携帯電話などを使った「趣味」ではなく、あくまでも便利かつ気軽に音楽を楽しむツールとして捉えるべきだと思います。また、本気で鑑賞するものとは思えません。

演奏者一人一人が勉強に勉強を重ね技術を磨き作り上げた音楽という芸術を、お手軽なもので聞くことはどうなのでしょうか。人間が渾身の力を振り絞って作り上げていくのが芸術です。その芸術の記録を聴こうとするならば、可能な限り良い音の出るオーディオ機器を使い、可能な限り音を良くする努力をして楽しむのが筋でしょうね。そこで生まれるのが「趣味」だと思うのです。

便利というのは危険なものです。確かにいまの電子機器をもってすれば、正確なリズムは再生できるし、かなり広いレンジが再生できます。昔の鉱石ラジオみたいにレンジは狭いしレベルは足りないし…というのであれば「あんなものオモチャだ」ということになったはずです。ところがなまじっか聴けてしまうために、それを何の疑いもなく音楽を聴く道具にしてしまうのが問題ですね。

「便利」に惑わされて、「本質」を見失ってはいけません。そこで重要なのが批判精神でしょう。それは人間に取って必要不可欠な精神なのです。芸術は便利の尺度で測るものではありません。というわけでオーディオという趣味は、いま情けない状態にあるといえます。

誤解しないで欲しいのですが、いまここで話しているのは音楽芸術をどう再生するかということで、現代は音楽のジャンルも多彩でどんな聴き方をするかは様々ですから、それらの隅々について言っているのではありません。わたしは音楽芸術に敬意を表し、それを再生するためにふさわしいアンプやスピーカーを求めてきた。それがオーディオの楽しみでもあり趣味であったわけです。

ファイルウェブの読者の方には、オーディオという極めて現代的で、サイエンティフィックな、しかも音楽芸術を盛り上げるような趣味があることを、その趣味に見合う素晴らしい音があることをもう一度、認識して欲しいと考えています。

以下、第54回に続く

(菅野沖彦・談 / 聞き手・ピュアオーディオ本部・岩出和美)
(撮影・奥富信吾)

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